Column

ピアノの歴史的録音を取り巻くさまざまな雑記です。

J.ブラームスのピアノ自作自演録音

没後100年の1997年にTV放送された「過ぎし日のブラームス~幻のピアノ録音」という番組をビデオで久しぶりに見返した。やはり何度見ても心に残る素晴らしい番組だったので、敬意を表してここに記しておきたいと思う。

シリンダーに残されたブラームスのかけら

ブラームスが自作「ハンガリア舞曲第一番」とJ・シュトラウス「とんぼ」のピアノ演奏をロウ管シリンダーに録音したのは、エジソンの発明から約12年後の1889年12月2日だった。
この歴史的なロウ管は、ボーゼ博士によるSPレコード(1938年 TELEFUNKEN製 78rpm)へのトランスファーに始まり、EP、LP、CD(英Pearl「Pupils of Clara Schumann」ブラームスの自作自演が収録)とフォーマットを変え何度もリイシューされてきたが、録音・保存状態の悪さはレーザー再生を施されてもどうにも補完のしようがない。一聴、「ハンガリア舞曲」の旋律は、ピアノというよりアタック感の無いヴァイオリンの音に近く、「とんぼ」に関しては凄まじいトレース・ノイズでほとんど何も聞き取る事が出来ないと絶望しかける。

これはエジソンのロウ管蓄音機の性能のせいではなく、保存状態の悪さと、録音時の条件の悪さに起因する。ロウ管に入ったヒビは戦争の責任で、マイク・セッティングのミスはブラームス本人の思惑だった。
当時エジソンの発明に大きな関心をもっていたブラームスは、この録音セッションの為に自作の「ラプソディ作品79-2」を用意していたが、その練習中に自分のテクニックの衰えに気付いてしまったらしい。完璧主義者のブラームスは、後世に自分の衰えたピアノ演奏を残すことにためらいを覚えた。
親しい友人であるフェリンガー家でのセッション当日、すっかりナーヴァスになっていたブラームスは、録音エンジニアに対して非協力的だった。突然「フェリンガー夫人がピアノを演奏します!」と自嘲気味に叫びながら、ブラームスはエンジニアのマイク・セッティングが終わらないうちにピアノを弾き始めてしまった。フェリンガー氏は慌てて「ピアノ演奏はブラームス博士です!」(この部分から録音は開始されており、フェリンガー氏の声がブラームスの声と間違えられる場合が多い)とアナウンスを被せなおし、エンジニアは急遽録音を開始しなければならなかった。
ブラームスが録音を嫌がっていた事は、彼の代表曲「ラプソディ」ではなく、ハンガリア民謡をベースに作曲(編曲?)した「ハンガリア舞曲第一番」を弾き飛ばした事や、その後に子供でも弾きそうなシュトラウスの「とんぼ」という軽い曲を弾いた事から見ても明らかだ。しかし、この凄まじいノイズの中からピアノでも、長年忍耐強く聴き続けていると、彼のピアニズムが浮かび上がってくる。

ブラームスの人生は、この録音事件があった頃からどんどんと陰り始める。もともと自分の才能に対して懐疑的だったブラームスは、書きためていた楽譜を河に捨てたり、演奏活動から遠ざかったり、ついには遺書の用意まで始めている。
あの大作曲家ブラームスが、である。有名無実の楽天的な音楽家が多い現代から考えると、なんとも奥ゆかしくも痛ましいエピソードだ。
その後、ブラームスは孤独のなかで独自の境地を見出し、最晩年には日本の「侘寂」にも似た諦観漂う名作を次々に残す。師シューマンの妻にして大女流ピアニストのクララ・シューマンはその作品群を「灰色の真珠」と評した。そして1896年、最愛の人クララ・シューマンが急逝し、その埋葬に立ち会う為に40時間もの汽車旅をした事で体調を崩し、1897年にあの世へ召される。

ブラームスを知るピアニストたちによる実演を聴く

ブラームスの多くの友人たちは20世紀まで生き、何かしらのフォーマットで演奏を残している事は、ブラームス愛好家にとっては格好の研究材料となっている。
以前、ドイツの博物館から『ブラームスとその友人たち』というEPレコードが日本でも一部の専門店で売られていた(今でも所有しているはずだが、どこかへ仕舞い込んだまま行方不明…)。このレコードは「ハンガリア舞曲第一番」を、通常のアナログ再生と、レーザー光線での再生を収録しているほか、グリュンフェルトやレシェティツキ(!)といったブラームスの友人たちのスピーチを録音したロウ管を収録しているのが面白い。
宮廷ピアニストだったA.グリュンフェルトは、シュトラウスのワルツ・パラフレーズをビロード・タッチで演奏し、ウィーンの聴衆を魅了した。ブラームスの友人だった彼は「カプリッチョ作品76-2」と「ワルツ集作品39」をアコースティック録音初期に残している。どちらもグリュンフェルトらしい実に愛らしい演奏で、乱暴にならないフォルテシモはレコード録音に適していたように思う。その他、沢山の録音を残しているが、ショパンやモーツァルト、グリーグ、ワーグナー、コルンゴールドなどの小品は特に賞賛される。
またブラームスの助手でペダゴグ・パフォーマーだったM.バウメイヤーはシューマンの小品を78rpmに録音しているのはあまり知られていない。彼女は1851年の生まれで、録音を残したピアニストの中でも最年長組に分けられて良いが、その手のディスコグラフィーに登場した事が無いのは、レコード現物を所有しているコレクターがほとんどいないと云う証明だろう。

ブラームスの意に反し、現代でも劣悪な音質の(おそらくピアノ・レコード史上最悪)このロウ管は繰り返しリイシューされ、聴かれ続けている。それは「過ぎし日のブラームス~幻のピアノ録音」の番組中、鬼才ピアニストのヴァレリー・アファナシエフが語っていたように、
「この録音を聴いてブラームスを思い出すと言うことではなく、まさしくここにブラームスが存在しているのだ。」という事に尽きるのだろう。