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Great Pianists of the past

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Francis Planté
Francis Planté
(1839-1934)






19世紀的スタイルのピアニストとレコード盤を通して出逢った時、大きな喜びを感じる。そこには、遠く失われてしまったかも知れない美しい演奏の再発見があるからだ。不思議なもので、芸術は科学技術と異なり「最先端が最良である」というものではない。伝統を継承することも、芸術の深い魅力の一つなのだ。


Henri EtlinかつてフランスにHenri Etlin[アンリ・エトラン] (1886-1951)というピアニストがいた。Louis Diemér門下で、ヴァイオリニストのGeorge Enescoなどとも共演、1931年にフィリップ・ゴーベールの指揮でショパンのコンチェルトを共演している(同時期のゴーベールの共演者には Robert Lortat がいる)。パハマンの回想録には、プランテとの交流もあったことを伺わせる記録がある。また、Marcel Dupréの弟子であったJohn Tallisも、1920〜30年頃にHenri Etlinに習ったと言う記述がある(ここでEtlinはショパンの孫弟子と紹介されている。おそらくディエメ門下としての事だろう)。

Etlinのレコードは私の知る限り仏POLYDORから10インチにサン=サーンスの小品を2曲、12インチにショパン「練習曲,Op.25-7, 8, 9 」をいれたものが一枚、レコード番号がHE1(演奏者の頭文字)などという特別なもの(どうやらプライヴェートレコードのようだ)と、独Artiphonの10インチに、ルビンステイン「へ長のメロディ」とリスト「ハンガリア狂詩曲第六番」からの抜粋、同じく12インチにショパン「英雄ポロネーズ」がある。こちらは残響も少なく良好な録音状態であった。(追記:その後、プライヴェート録音のテストプレス盤10インチ二枚四面を発見した。収録曲は全てショパンの練習曲で、Op.10-1、10-4、10-12、25-6である。)

不思議なのは、仏POLYDORの10インチ盤と12インチ盤の表裏で録音条件が全く違うことである。特にショパンのエチュードは25-7の面と、25-8,9の面で、演奏している場所さえ違うように聴こえる。また、Artiphon盤も含め共通しているのは使用しているピアノがすべてエラール製だということ。エラールと言えば、真っ先にFrancois Planté [フランシス・プランテ]を連想する。プランテのエラールのによるテンポを遅めに採った「練習曲,Op.10-5」や「練習曲,Op.10-7」などのレコードと、エトランのレコードに聴く演奏スタイルは同じルーツを強く感じる。追記したテストプレス盤に、「練習曲,Op.10-4」があり、これなどはプランテの録音のものと比較出来る。どちらもインテンポで、弾き飛ばさず、細部までキッチリと演奏していている。むやみに焦燥感を煽ること無く美しい仕上がり。

特に印象深いEtlinのレコードは、ショパン「練習曲 嬰ハ短調,Op.25-7」である。録音はまるで風呂場で演奏しているような残響でプロエンジニアによる録音ではないかもしれない。にも関わらず「ニアレジハアジが弾いたらこうなるだろう」というような悲劇的で厳粛な響きにハッと胸を突かれた。エラールはこんなにも深刻な響きをするピアノだったのか。Etlinは余程この曲に思い入れがあったに違いない。このエチュードは技巧的な練習ではなく、楽曲の解釈にこそ目的があると思う。四角四面に弾いたらつまらないものとなってしまうし、メロディを過剰に歌わせてドラマティックに偏っても俗悪な音楽に陥ってしまう。テンポはゆっくりだが、「練習曲 嬰ホ短調,Op.10-6」と共に実はとても難しい練習曲なのだ。

しかし最高の出来は「英雄ポロネーズ」だろう。これもゆっくりとしたテンポと旧いスタイルの解釈で、現代版「英雄ポロネーズ」に食傷気味なリスナーにも、とても新鮮で最期まで耳を傾けてしまう。いつからか「英雄ポロネーズ」は、誰の演奏を聴いても同じような解釈になってしまっているが、EtlinやVictor Gillé [ヴィクトル・ジル]といった個性的なピアニストで聴くと、ピアニストが多数存在する意義を思い出すことが出来る。

Henri Etlinのレコードは、だれもが顧みないような古レコードだが、私に取っては19世紀ピアニズムを色濃く感じさせてくれる、かけがえのない大切な一枚なのである。




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