ピアニストと戦争〜ショパン国際ピアノコンクールと悲劇の女流ピアニスト
ショパンの祖国であるワルシャワで、第1回ショパン国際ピアノコンクールが開催されたのは1927年。世紀の大ピアニストであるアレクサンドル・ミハウォスキ(1851-1938)をアイコンに、J.ジュラヴレフとZ.ジェビエツキの両教授が、ショパン演奏の更なる繁栄を掲げてのスタートでした。もう一つの目論見として、ポーランド・ピアニスト達を世界に発信したい、という想いがあったはずです。しかし、実際に優勝したのはロシア・ピアニストのレフ・オボーリンであり、これを発端として、国家を背負ったコンクール審査員たちの派閥争いが勃発していくのでした。
1927年1月23日、ワルシャワのフィルハーモニーホールで、第1回ショパン・コンクールが開催された。
第1回ショパン・コンクールには、28歳までのすべての国の国民が参加することができた。第1回には34人のピアニストが参加した。ポーランド人が大半を占めたが、ソ連、オーストリア、ベルギー、ラトビア、スイス、ハンガリーの代表もいた。
しかし、コンクール覇者が歴史に名を残すショパン弾きになると云う様な単純な話ではなく、寧ろ選外の中に今も語り継がれるピアニストが輩出されていきました。
この記念すべき第1回のショパン国際ピアノコンクールで特に忘れ難い存在感を残したのは、第2位のスタニスラス・シュピナルスキと、ローザ・エトキヌーヴナ(エトキン)です。
1927: 1st International Fryderyk Chopin Competition
First Prize: Lev Oborin (USSR)
Second Prize: Stanislaw Szpinalski (Poland)
Third Prize: Róza Etkin (Poland)
Fourth Prize: Grigory Ginzburg (USSR)
Polish Radio Prize for the best performance of mazurkas – Henryk Sztompka (Poland)
どちらもポーランド出身で、オボーリンの傷の無い優等生的な演奏とは対象的に、情熱的で即興性のあるロマン派のスタイルは今日を生きる私たちの心を強く惹きつけます。
時代背景もありどちらも多くのレコード録音には恵まれなかったのですが、今でも僅かなレコードとライブ録音でその演奏を知ることができます。
シュピナルスキはその後のショパン国際ピアノコンクールの審査員として招かれ活躍しましたが、一方のエトキンは第二次世界大戦中、塹壕の中でナチスの手榴弾によって殺害されその短い生涯を終えました。
エトキンは先に挙げたポーランドの最重要ピアニストであるミハウォスキ門下の逸材で、かのテレサ・カレーニョの再来と将来を嘱望されたヴィルトゥオーゾ・タイプの女流ピアニストでした。
ショパン国際ピアノコンクール以降、いくつかのコンサートを開き、ピアノ協奏曲など大曲も演目に組まれていることが当時のプログラムに記録されています。しかし、実際にエトキンの演奏を聴くことが出来るのは、ドイツのTri-Ergonレーベルから発売された、たった6面に遺されたピアノ小品のみです。
その中の1枚は12インチ両面ともショパン作品の「夜想曲第5番嬰ヘ長調作品15-2」と「マズルカ作品50-3」で、これらは1955年に発行されたポーランドMUZAによるショパン全集の特典レコードに収録されています(因みにシュピナルスキのライブ演奏とレコード録音の一部も収録)。
このTri-Ergonというレーベルは映画フィルム録音用の特殊な技術を用いており、その為かフォルテシモの部分ではやや過大入力気味の音割れがありますが、その録音芸術的要素も相俟ってとてもシリアスで劇的に響きます。
もう一枚の12インチ盤は、ラヴェル「水の戯れ」とスクリャービン「練習曲作品8」から二曲が選ばれました。早めのテンポでもっともヴィルトゥオジティの高いラヴェルと、エトキンの最期を予見したかの様な悲劇的なスクリャービンは、もっとも心を揺さぶられる1枚です。
そして、もう一枚のレコードの10インチ盤をここに写真掲載しました。
このレコードは既に、DIW CLASSICS(ディスクユニオン)レーベルから発売した「ショパン国際ピアノコンクールの歴史Vol.1」というアンソロジーに収録しました。
このCDは、私が1927年と1932年のコンクール入賞者の録音を集めて復刻したもので、他では復刻されていないA.ルーフェルなどの演奏も聴くことが出来る唯一のものとなっています。
しかし、実はこのCDには少し苦い思い出があります。このエトキンの78rpmレコードは前述した録音過程の理由から、SPレコード特有のノイズの他に少し音割れがショパン「ワルツ第5番変イ長調作品42」冒頭部分などにあり、クレームが入ってしまったのです。
これは歴史的録音を収録した企画ですので、ヒストリカル録音のファンであれば、当然のことなのですが、事情を知らないリスナーは商品の不具合と受け止めてしまった様でした。
事情は承知済みで復刻したはずでしたが、大手のメーカーに寄せられたクレームに応えるのも1つの立派な方針ではあったと思います。
以降、DIW CLASSICSからはSPレコード復刻の音源は収録出来なくなり、それを残念に思うリスナーの方々も多く居られたと思うと複雑な心境ではありました。
しかし、そう制限を気にせず伸び伸びと復刻をしたいという気持ちが高まったお陰で、Sakuraphonレーベルの立ち上げを行うことご出来たので、何が幸いするかは分からないものです。
さて、このエトキンの問題の「ワルツ」、音割れする様な迫力に満ちた演奏な訳です。このワルツの名演と言えば、リストの高弟であるEmil von Sauerの優雅な演奏を筆頭に、アインシュタインと仲の良かったレシェティツキ門下のJoseph Schwarzや、ペンパウエル教授の衣鉢を継ぐリスト弾きSigfrid Grundeisのブリュートナー製ピアノによる演奏、Annia DorfmanやEileen Joyceの女流陣の颯爽たる演奏など、当時の人気ピアニストたちがこぞってレコードを残しています。しかしその数多の演奏の中においても輝きを放つエトキンのレコードは、今後も永く聴き継がれることでしょう。
裏面に収録された同郷ポーランド作曲家のロジツキの珍しい作品は、他の選曲からすると奇異に映ります。この意外な選曲にこそエトキンの主張が込められているのでは無いかと思っています。
ミハウォスキ門下には、1918年頃に来日したJadwiga Zaleskaというポーランド出身の女流ピアニストがいました。彼女も第二次世界大戦の被害者で、此方はナチスではなく終戦で撤退していくロシア軍によって夫婦揃って射殺されました。ポーランド盤の78rpmレコードは、なかなか市場に出回りません。そして運良く入手出来たとしても、かなりコンディションの悪いものが多いのです。これらの傷痕は、戦火によって失われた多くの貴重なレコードの中でなんとか生き延びて来た証拠でもあります。
もしも戦争が無かったなら、エトキンをはじめ、旧世代のポーランド・ピアニストたちのレコード録音が長く活躍して、もっと良いコンディションのレコードが沢山遺されていたことは間違い有りません。
私はいかなる理由があっても、戦争という国家の下に正当化された大量無差別殺人に対して、反対をします。それはどんな事があっても一生変わることのない確固たるものでもあります。いつまでも馬鹿げた争いを止めることができない存在から、人類が1秒でも早く進化できますように。